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『私の心の癒し(安らぎ・楽しかったこと)』 エッセイ募集

『私の心の癒し』エッセイにたくさんのご応募ありがとうございました。
最終選考会の結果、最優秀賞2名、優秀賞3名、入賞4名、ジュニア賞5名を選考いたしました。

 
最優秀賞
(2名)
「一本のバナナ」 H.S様(東京都)
「待っていましたよ」 小泉 博一様(兵庫県)

優秀賞
(3名)
「心の愛唱歌」 浜野 伸二郎様(兵庫県)
「ぬくもりの香り」 南川 亜樹子様(徳島県)
「シフォンの香り」 神馬 せつを様(石川県)

入賞
(4名)
「歌っていいなぁ」 中川 曙美様(新潟県)
「震災に負けるな」 小林 良之様(兵庫県)
「癒しの電話」 小林 孝子様(京都府)
「「般若心経」に支えられて」 鈴木 睦美様(大阪府)

ジュニア賞
(5名)
「きんのおさかな」 中村 ゆみこ様(東京都)
「私の善福寺川」 仁平井 麻衣様(東京都)
「あの宝物の時間をもう一度」 坂井 泰法様(新潟県)
「賑やかな一人の時間」 鈴木 ほのか様(静岡県)
「祖父の味」 中村 優介様(静岡県)
 

最優秀賞(2名)
 
◆「一本のバナナ」
H.S様
 アジアのとある地方を旅していたときの事。船に乗って地方から町へ移動することになった。私の乗り込んだ船の向かいに、みすぼらしい身なりの幼い兄弟が立っていた。お兄ちゃんは六歳位、弟はそれより二つ下といったところだろうか、破れたシャツを着、当然のごとく裸足であった。
 少年たちは私を見つけると、手をさし伸ばしてきた。この辺りでよく見る物乞いの光景だ。私は、こういう物乞いには何も上げないのだが、このときばかりはその幼い兄弟の姿に心を打たれてしまった。思わずかばんの中を探ってみたが、宿の朝食のバナナが一本しかなかった。仕方がないので、その一本をお兄ちゃんのほうに手すり越しに差し出した。お兄ちゃんは受け取ったが、一本しかもらえないと分かると、結局弟に全部あげたのだった。
 全部自分が食べてもよかったのに・・・お兄ちゃんだっておなか空いていただろうに・・・自己中心的な人々が増えた現代において、異国の地で見せられたこの光景は、私に忘れていたものを思い起こさせた。幼い兄弟の美しい愛。この兄弟たちに癒されたのは言うまでもない。
 
◆「待っていましたよ」
小泉 博一様
 大通りからスロープを下って地下に入って行くと相変わらずどの店にも活気があった。 「やあ、待っていましたよ。いつ来られるかと思って」
  私たちの姿を見つけて声をかけてくれたのはスタンド形式のコーヒー店のマスターである。その声で、乾物屋の主人も天麩羅屋の奥さんも肉屋の息子も仕事の手を止めて一斉にこちらに顔を向ける。どの顔にもどっと笑顔が溢れる。それを見て車椅子の妻の顔も輝く。やっぱり来てよかったと目頭が熱くなる。
 妻は脳梗塞のために要介護度五と認定された。ことばも記憶も失い身体の移動もできない。絶体絶命のぎりぎり瀬戸際で、なんとか生を保っているのが実情である。
  その日は、リハビリ専門の病院に転院して初めて外出が許可された日だった。マスターは、常連客から妻の病気のことを聞いたらしい。おもむろにコーヒーを口に運ぶ妻の姿を私は思わず笑みをこぼしながら胸をはって眺めていた。
 マスターのことばは私にとって心の癒しであった。今私は「やぁ、待っていましたよ。いつ来られるかと思って」という声が天からかかるまで精一杯生きてゆこうと思う。

優秀賞(3名)
 
◆「心の愛唱歌」
浜野 伸二郎様
 わたしは、喜怒哀楽に任せて、愛唱歌を聴き、口ずさみ、長いようで短いと言われる人生路を歩んできました。
  森進一の『うさぎ』を聴いてからは、生きいていく励みにし、その時々に口ずさんできました。
 わたしは仮死状態で生まれ、なんとかこの世に生命を繋ぐことが出来ました。但し、身の周りことが殆ど困難な重いハンディを背負って生きていくことになりました。
 「伸二郎ちゃんに優しいお嫁さんが見つかるまでは死んでも死にきれん」と言っていた母は、わたしが十六歳の時に五十二歳の若さで他界したのです。
  《こんなに辛い時でさえ優しい心忘れないお前は強い男の子/めったに泣かない母さんの瞼が濡れて光ってた/苦しい時が来るたびに一生懸命生きてます/母さん褒めてくれますか/母さん泣いてくれますか》
 お母さんが、心の中で蘇えり、わたしを慰め、励ましてくれるように感じるのです。
  そして、結婚以来わたしを介護し続けた妻に、『愛と死をみつめて』のマコとミコの言葉を借りて感謝の心が伝わればと、語りかけるように口ずさむわたしがいます。
 
◆「ぬくもりの香り」
南川 亜樹子様
 おばあちゃんの思い出はお香の香りに包まれている。子供の頃、両親が共働きだった私にとって、おばあちゃんは心の駆け込み寺だった。学校で友達と喧嘩をした時、母親に叱られた時、飼っていた愛犬メリーが死んでしまった時、私は決まっておばあちゃんの部屋に走り込んだ。
 私が泣きべそをかきながら部屋の戸を開けると、お香の凛とした香りが鼻をくすぐった。おばあちゃんは、節くれ立ったしわしわの手で私を招き入れ、「あきちゃん、どしたんで?」と優しく聞いた。私は悲しい思い、腹が立ったこと全てを吐き出した。おばあちゃんは、「ほうか、ほうか」とただひたすらに、私の話に耳を傾けた。そして話を聞き終わると、甘いミルクココアを入れてくれるのが常だった。おばあちゃんの作るココアは、ふわふわと柔らかく、氷のように凝り固まった気持ちをぽかぽかと温めてくれた。
 おばあちゃんのいない今、お香が私にとっての慰め役だ。お香を焚くと、自分が確かにゆるぎない愛情に守られていたことを思い出す。有のままの私を受け入れてくれたぬくもりは、まるでココアの粉のように、日常の悩みをさらさらと溶かしてくれるのだ。
 
◆「シフォンの香り」
神馬 せつを様
 わたしが暮らしている街には、浅野川という優しい香りのする川が流れている。
 この川の流域には、大勢の人々の生活があり、一人ひとりが、この川から計り知れない恩恵を受けている。それは人間だけでなく、動植物にとっても大切な川なのである。
 その浅野川に架かる橋の上で物思いにふけっていると、少女が駆け寄ってきて、ポケットからそっとリスのぬいぐるみを取り出し、
「おじさん、これあげる」と言って、
 わたしに差し出した。
 あっけにとられていると、少女の母親があわてて走って来て、
「すみませんね、感受性が強い子でして」
  と頭を下げ、少女をたしなめながら足早に通り過ぎていった。
 今にも飛び込みかねないほど悩んでいるように、少女には見えたのだろうか。
 激しい交通事故の後遺症から立ち直れず、家族を亡くした哀しさも重なり、老いてなお辛く苦しい日々が続いているが、もちろん飛び込むつもりも勇気もない。飛び込んだところで、せいぜい骨折ぐらいの浅瀬である。
 一人暮らしの寂しい部屋に飾られることになったぬいぐるいを眺めるたびに、遠い日の娘のことが思い出される。
  シフォンの香りがするリスのぬいぐるみに触れるたびに、私の心は癒される。

入賞(4名)
 
◆「歌っていいなぁ」
中川 曙美様
 「ねんねんころりよ おころりよ」
  難病でベットに横たわっている夫の脇で、歌っていると、「婆ちゃん。下手くそ、音痴だね」と孫娘。そう確かに私の歌は、平均点より、はるかに下である事は自他共に認めざるを得ない。
  然し、この下手な歌で、夫は口を少し開け気持ち良さそうにスヤスヤ眠っている。
 介護歴10年、寝返りの出来ない夫のおむつを換えたり、流動食をスプーンで一さじづつ口に運んだりと結構忙しい毎日を送っている。
  それでも、ストレスを貯める事なく、心穏やかに毎日を送る事が出来るのは、童謡が好きで常に口づさんでいるせいだと思う。
  春には「さくら」秋には「赤とんぼ」外で犬の鳴き声がすれば「犬のおまわりさん」雨が降れば「雨あめ降れ降れ」と、忘れは歌詞はその場で自分で作詞し、歌手気分で歌い、その上、夫に「上手いでしょ?」と、自慢することも忘れない。
 こんな私に夫はいつも「うん、うん」と優しい笑顔を返してくれる。
 童謡は私に最高の安らぎを与えてくれる。
 
◆「震災に負けるな」
小林 良之様
 未曾有の被害を及ぼした阪神大震災。一瞬にして多くの方々の尊い命を奪い、神戸の街を一変させました。私自身も東灘区で被災し、自宅が全壊するなど、今日一日を生きていくのがやっとの日々を過ごしていました。見えない明日と懸命に戦いながら、瓦礫の中からの人命救助に明け暮れ、小学校の講堂で避難所生活を強いられていたあの日のことは、いつまでも心の片隅から消えることがありません。あの時、目に見える財産を失いはしたものの、掛け替えのない命を取り留めることができたことは、まさに感謝の極みです。更に、人と人との温かい絆を手にすることができたのは何より一生の宝物となりました。地震後出火した炎の勢いは収まることなく燃え盛り、ひび割れた防火水槽から導かれた消火ホースからは全く水も出ませんでした。炎が迫りくる中、人々は被害を食い止めようと井戸からのバケツリレーを誰からともなく始めました。列の先頭で消火活動を行っていた私が、ふと後を振り返った時、二百人以上の人が必死に作業を行う姿を目の当たりにして胸が熱く込み上げるのを感じました。年に一度その仲間と神戸の町で再会し、生きていることに花を咲かせています。その笑顔に会えることがどれほど心が癒されることか計り知れません。辛く、死に物狂いだった震災直後のことも、今では穏やかに思い出されます。今年も仲間と出逢う日が近づき、今から心待ちにしています。絆に感謝です。
 
◆「癒しの電話」
小林 孝子様
 「きょうはどないしてたん?」今夜も娘と携帯電話で話をする。学校の厳しい授業、友だちとの会話、近くの美味しい中華やさん、見たドラマ……。たわいのない話を聞く。
 娘は二一歳。東京で一人暮らしする大学二年生。四つ上の兄が親を煩わせることのなかったのと違い、娘は中学一年から頭痛の種だった。不登校から中学を三回変わり、親戚の家から中学は卒業したものの高校受験に失敗し半分引きこもりの生活。そのうちにアルバイトをしながら大検で大学を目指した。その間、母と娘は本音でぶつかり合い喧嘩した。娘の存在がストレスだった。どれほどいがみ合い傷つけ合ったことだろう。
  ようやくハリネズミ同士のハリが抜け、娘が東京の大学に進学した四月、私に病が襲ってきた。息子はすでに東京に就職し、持病を抱えた夫と二人暮らしになった途端だった。娘はさりげなく毎日のように電話をかけてくれた。私の不安な気弱な心も娘と話をすることで勇気づけられた。いつのまにか娘は私の心の一番の理解者となっていたことに気づき、そのことが何より嬉しかった。
「それじゃまたね」電話を切ったあと私は温かい気持ちになってつぶやく。「ありがとう」
 
◆「「般若心経」に支えられて」
鈴木 睦美様
  父が越せなかった還暦まであと一週間という日、医師から癌の宣告を受けた。 その瞬間、目の前が真っ暗になった。平均余命から考えて、まだまだ先だと思っていた人生の週末が、突然目の前に現れた気がした。 意気消沈して自宅に戻り、還暦の記念旅行を楽しみにしていた妻の顔を見た途端、申し訳なさと悔しさが込み上げてきた。その日から何も手につかなくなった。あれこれ考えて夜も眠れなくなった。 そんな私の心を癒してくれたのは「般若心経」だった。二百六十二文字の経文である。数年前より、いつの日か妻と二人で四国八十八ヵ所霊場を巡りたいとの思いから学んできたのだが、今になって、やっとその一文字一文字が心に沁みるようになった。 「生病老死」の苦しみは誰にでもある。悔やんでも仕方がない。現実を素直に受け入れて生きていかねばと思えるようになった。「一日一生」の思いで生きることの大切さも、病むことがなければ気付かなかったであろう。 今は、朝に晩に心を込め、手を合わせて経文を唱えている。少なくともその時間だけは、病の進行に対する不安からも解き放たれて、穏やかな気分に浸ることができるから。

ジュニア賞(5名)
 
◆「きんのおさかな」
中村 ゆみこ様
 私の心が癒されるとき。それは、金魚をぼーと、眺めている時。
春には春の花やかな風。夏には夏の匂い。
秋はしっとり木の葉が香り、冬は寒さの中の優しい風。
四季折々の、風を感じながら、透明の水をのぞきこむ。
そこにはかならず金魚がいる。 私がいくつになっても、かわらず。
綺麗な色を水中でひらりひらりとはためかせ、きゅうにぴくっとかいてんする。
水草にぴゅっとキスをして、水底へひゅるひゅると降りていく。
とんとんとん。私が鉢を三回たたくとあかいろをはためかせながら、浮上する。
ぱらぱらと落とされた色とりどりのえさ。あらそって、くちにふくむ。
まんまるのくちは、ひらいたり、とじたり。休むことをしらない。
なんの悩みもなさそうな、そんな無垢な瞳を見ると、私も頑張ろうと、そう思える。
きんのおさかな
 今日も私に、元気をくれた
 
◆「私の善福寺川」
仁平井 麻衣様
 母と肩を並べ土手を歩きながら散りしきる桜の花びらを両手にため 善福寺川に投げこむのは最高のよい気分でした。
お盆の季節も なぜか心安らいだ記憶があります。放水量を多くしたせいか ふだんより水かさが増した川に人が集まっていました。
精霊流しが始まると お坊さんの読経にのって、それぞれに浮かべた灯籠が流れ始めます。
「まいちゃん 手を合わせて」
おかっぱ頭の私を優しくなでながら そっと耳もとで ささやく母がいました。 秋になって台風がくると 川がはんらんし一面の水の中を母の背中にかくれるようにして歩き続けた私は心が弾んでいた覚えがあります。
川のまわりの木が色づいてきて 水中の水草までが紅葉していたことがありました。
葉を濡らす絹糸の雨が 優しい音をかなで川面に さざ波をたてていました。そんなとき 確かめるように母のあたたかい掌を重ね合わせて歩いていると心がほぐれました。大好きだった母が去って十年になります。十八才になった今も おちこんだりすると私は川に出かけます。変わらない水の流れが心や体を癒やしてくれるからです。母にも会えます。
 
◆「あの宝物の時間をもう一度」
坂井 泰法様
 働き者だった大じいちゃんが病気になって入院したのは、今から数年前。それ以来、ずっとねたきりになった。何とかして元気にしてあげたい・・・。ぼくは考え、ひらめいた。よし、物語を作って、大じいちゃんに読んで聞かせてあげよう。ぼくが小さかったころ、大じいちゃんがぼくにそうしてくれたように。
 お見まいに行く時は大じいちゃんの大好物のバナナを持って行く。皮をむいてあげると、大じいちゃんはゆっくり食べた。ぼくはその間、ぼく作の物語を読む。大じいちゃんは、ほとんどしゃべる事ができなくなっていた。ただ、いつも静かにほほえんでいた。
 ぼくは大じいちゃんとすごすその時間が大好きだった。一秒も残さずに宝箱にしまいこんでおきたかった。ぼくを見つめる大じいちゃん。その目がかわいくて、いとしくて、ぼくはいつも大じいちゃんをだきしめた。
 去年の十二月。クリスマス前に、ぼくはとっておきのプレゼントを用意した。おり紙で作ったバナナが飛び出す絵本。そしてイヴ。その日、大じいちゃんは天国へ旅立った。
 今年もやってくるクリスマス。サンタさん、もう一度だけ、ぼくと大じいちゃんに、二人ですごすあの宝物の時間をください。
 
◆「賑やかな一人の時間」
鈴木 ほのか様
 疲れた時、つらい時、一人になるとことで私は落ち着ける。誰もいない部屋、音も光も全てなくして、一人で何も考えないようにする。
 するとなぜか、音が聞こえてくる、それは友達の、家族の、恋人の、とても幸せそうな笑い声。だんだんたくさんの人の顔が浮かんできて、白くなろうとしていた私の頭は、みんなでいっぱいになる。
 なぜかなぁ、何も考えたくないと一人になったはずなのに・・・。私の心は賑やかで騒がしいくらいの空間をつくり、求めているみたい。 そうやって、友達の楽しそうな顔、家族との温かい時間、恋人との幸せに過ごしている時を思い返していく。
 こんな風にしていると自然と落ち着いて、私の心は晴れてくる。つらい時にいつも私を穏やかにしてくれる周りの人たちこそ、私の心の癒し。きっと、この人たちのおかげだな。この癒しがあるからこそ、今までも、そしてこれからも、頑張ってゆこうと思えるんだ
 
◆「祖父の味」
中村 優介様
 私はある物を食べるとふと懐しく、またほんの少し切なくなる。それは私の祖父の家で栽培されている茄子の味である。祖父の家と言ってもそこに祖父の姿はもう無い。祖父は去年の夏に亡くなってしまったからだ。今その家は叔父が住み、畑も仕切っている。それでも私にとっては祖父の家と言い続けているのだ。私は祖父の家に行くと、いつも祖父に連いて行った。私にとっては全てが思い出であり、多くの事を学ぶ場でもあった。
 その中でも茄子を作る祖父の姿は大好きだった。私もわずかではあるが手伝いもした。その中でできた茄子は水々しく、一度食べたら忘れる事ができない味だった。私はその味はずっと食べ続ける事ができると思い込んでいた。しかし祖父は亡くなってしまった。
 私にとっての心の癒し、それは祖父が亡くなる直前まで栽培し、もう二度と食べる事ができない茄子を食べた時であった。それは一生忘れない心の癒しだと思っている。


 

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