| 入選(4名) |
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| ◆「<岐路>で手をさしのべた人」 |
伊東 静様 |
何が機縁で、誰との出会いで自分の人生や運命が大きく舵とりされるかわからない。
私を一夜にして自堕落な若者から向学心に燃える青年へ変貌させてむれた盟友岸栄治君、彼こそその大恩人・終生忘れ得ぬ人である。
昭和23年夏、私19歳。敗戦直後の世情はまだまだ大混乱が渦まいていた頃だ。
当時父は魚屋を営んでいたが、いずれ三男坊の私に家業を継がせる気でいたらしい。長兄次兄共に戦死を遂げたからだ。しかし私はそれを嫌って魚釣りや蟹獲りに興ずる日々。親の叱咤と懇願をよそに遊び呆けていた。
ある日、狩野川で泳ぎ土手で甲羅干しをしていると高下駄の若者が「おーい伊東」と傍へ来た。見ると高小の同級生だった岸君である。異様に映ったのは彼の服装だ。旧制高校生の弊衣破帽のいでたち。
彼はどっかと腰をおろすと定時制高校で学んでいること、将来は大学へ進学し「司法試験に挑戦する」と私の目を丸くさせた。
そして説得が始まった。「お前もやれ、お前ならやれる!」と熱情こめて煽?った。
「いやというほど勉学にうちこむのは今しかない。機を逃がすな。田園貧家育ちの俺達、共にがんばろうじゃないか」と。
翌年春、岸君の導きで定時制高校に入学。昼は魚屋、夕方から高校へ。帰宅しても深夜12時まで学習に励んだ4年間。志を同じくする友も複数でき互いに切磋琢磨したことが意欲を底支えし持続させたのだと思う。
後年、岸君は見事司法試験に合格し人情弁護士として活躍した。一方私も国立大の教育学部を出て教職に就いた。時に28歳、いささかトウのたった若?先生であった。この時の父の言葉、「しがねえ魚屋の子伜が先生だとよ。笑わせやがらァ」。これ、多分に自慢話めいて微苦笑を誘う。生来、無類の子供好きだった私はこれを天職として全うした。
もしあの時岸君と会わなかったら・・神のひきあわせに対する感謝の念は深い。 |
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| ◆「古の「まこと」を探せ」 |
小野 一朗様 |
ただ、「古い」というだけで、物事を切り捨ててしまうのは、愚かである。たしかに、私たちの日常は、古いものと新しいものとのせめぎ合いの中に在る。歴史を見ても、古いものと新しいものの抗争のアトは、無数に残されている。
しかし、「新しい」だけが、全て正しく真実とは限らない。ころころ変わることが、ほんとうの新しさかどうか、疑問もある。物事を、次々「新しい」ものに取り替えられるのは、ものがそれだけ豊かだということなのかもしれない。ファッションや携帯に夢中になっている人たちを見ると、所詮、もの珍しさや移り気としか思えない。
私は、いつまで経っても変わることのないもの、時代や世代を超えていつまでもうけ継がれてゆくもの、それが真の「新しさ」と言えると思う。「不易流行」は永遠の命題でもある。その命題に、明確な指標を示されたのが、本居宣長だったように思っている。
江戸時代は、人も知る漢学や儒学万能の時代だが、先生は漢意、儒意など「からごころ」を「清く濯ぎ去」て、「やまと魂をかたくする」ことが、国学・古道の本義だと説かれた。仏教や儒学の教えに毒されず、一切のからごころを払拭することで、古の道を探ろうとされたのは、却って革新的ですらある。実に勇気のある孤独な仕事だったと思う。先生は、「古事記」「万葉集」「源氏物語」など古典を究め、やまと心を実証されようとした。
当時、「源氏」などは背徳の書として避難中傷され続けたが、今日私たちは「もののあはれ」の文学として、日本人の心の「まこと」を写すものだと理解している。先生のお陰である。
また先生は名署「初山踏み」の中で、古典の中にこそ、まことが潜んでいる。途中で投げ出すことなく、学問のまことを貫け。さすれば、きっとその中から、ほんとうの「新しさ」が見えてくると教えられている。 |
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| ◆「古事記を読んで」 |
渡 登志子様 |
古事記を読んでみようと思ったのは、十八歳の時でした。
それまでにアダムとイブ・エロス・アポロ・バッカスなど西洋の神様の話は、読んでいましたが、日本にも神様の話はあるはずだと思ったからです。
日本の神様といえば、「いなばの白兎」「海山彦山幸彦」の話は幼い日に読んだのですが、もっと詳しく知りたいと思ったのです。
古事記を読んで一番衝撃的だったのは、「我が身は成り成りて成り余れる処一処あり。
故、この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合わざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さんと以為ふ。生むこといかに」のところでした。
その時、若かったので男女の営みを口にすること、まして文章に書くことは、恥しいことだと思っていました。しかし古事記には、堂々とおおらかにさらりと書かれていたのです。驚きでした。
繰り返し読むうちに、この文は、国を創るということは、お互いに足りないところを補いあっていかなければ成しえないのだという事を後世の人々に知らせる奈良時代の人からのメッセージではないかと思いました。
今また古事記を読み返してみて、一つ残念で悲しく思うところありました。当時の人々の美意識です。
イザナギはイザナミを追いかけ黄泉の国まで会いに行ったのに、イザナミの醜い姿を見て逃げ帰るところです。愛したイザナミが火を生んだために死んでしまったのです。醜い姿になってしまったからといって逃げ帰るところが残念で悲しいと思いました。
日本の神様は、とても人間的だとも思いました。
古事記の中でも特に上巻は、国創りの話が壮大なスケールで書かれていて、読みごたえのある書物だと思いました。 |
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| ◆「戯曲 古事記」 |
布施 圭郎様 |
芸術作品とは、ただ単に清く正しく美しくあればいいのではなく、色気や、悪戯や、不潔さなども併せ持って、作者の世の中や人間に対する価値観の非現実的な表現である。例えば、東大寺の四天王像を少し離れてじっくり見た時の、じわじわとこみ上げてくる狂気にも似た感動にこそ、芸術性がある。
その点で、古事記(上巻)はまさしく芸術作品である。国生みの所作や,スサノオの乱暴ぶり、国譲りの浜での力比べの描写などに、人間の内面にある欲望や残虐性、諧謔味など、1300年も昔から何も変わってはいないことを思い知らされるのである。科学、技術が進歩したと言うが、人間の美的感覚や創造力は衰退しているのではないだろうか。生まれ育った出雲という土地柄もあって、古文体で読むと神楽のお囃子が聞こえてくるようである。漢文体では難解だが、現代文体ではお囃子が聞こえず、面白くない。
とっておきの場面が、天の岩戸の前で天照大神を何とか引きずり出そうと作戦を立てて、あの手この手を繰り出すところである。作戦を立てる神、ほとも露わに踊る神、その踊りを見て喜び大騒ぎする神々、岩戸を開ける神。天照大神がお隠れになったのは、日食を神話にしたものだと単純に考えるのもいいかも知れないが、思金の神の単純な発想、それを素直に聞き踊り狂う天宇受賣の命、おそらくは作戦の目的を忘れて大騒ぎする神々、息をひそめて岩戸の影に隠れて待つ手力男の命、外が騒々しいのが気になってついつい覗き見てしまう天照大神。人間が崇め、畏れる神々が、なんとも純朴な存在で描かれている。愉快であり、大らかであり、読む者の思考の背景を空の色に染めていくような穏やかだが強い光を放ち続ける。日常の煩わしさもなんとちっぽけなことか、と思えてくる。一研究材料として読むのもいいかも知れない。が、それより、小説や映画を何度も鑑賞するように、一作品として、繰り返し読んでいきたい。
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